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このブログの目指すところをこちらにまとめてみました。

毎週届くエアメール

 こちらは恋バナの後編です。前編のブログを読んでいない方はこちらをどうぞ。

 

 無事日本へ帰国をして普段の大学生活に戻ります。広〜いキャンパスで毎日英語の授業の後はテニスをして、彼女とデートなんてバラ色の生活とは打って変わって、残念な気持ちを持ちつつ大学での勉強とバイトの日々。

 

 そんな現実の世界に戻された日常に、夢ではなかった現実が届きます。それはエアメール。それも毎週届くのです。文章は英語で毎回辞書を片手に時間をかけて和訳をしました。またこちらからの手紙も英語とあって私からの手紙は2週間に一度くらいでした。

 

 今はスマホやPCなどを使ってインターネットがあり、またTV電話もあって(環境が整っていれば)世界中どこにいても画面を通じて会話が出来ます。しかし当時は海外との連絡はアメリカ⇔日本間を約1週間ほどで届くエアメールが一番経済的。国際電話で長電話しようものなら請求がいくら来るか怖くてたまりません。それでもお互いの誕生日には国際電話で話して声が聞けた時はとても感動がありました。


バイトが本業!?

 大学生は「勉学」が本業ではありますが、私はバイトをしている時間が長かった気がします。それはバイトの仲間が大学の友人より気があって楽しかったからでした。バイト以外の日に一緒に遊びに行ったりして結局4年間同じバイトをしていました。

 

 私は大学へは実家から通っていました。これまた親に感謝ですが、住まわせていただいていたにも関わらずバイト代は全部自分のものとしていました。多少バイト仲間との飲み会などで使う程度で、幸い浪費癖もなかったので残ったお金は貯金をしていました。

 

 バイトで稼ぐ範囲なので社会人の方からすれば大した金額ではないかもしれませんが、徐々に溜まっていく通帳をみて思い付きます。「近いうちにまた(個人で)アメリカに行ってみよう」と。

 

 ただ調べてみるとエコノミーでも往復の航空券、滞在費、食費、レンタカー代などを考えるとまだまだでした。


後輩がアメリカに留学

 ある時私が卒業した高校の部活OB会に行きました。その時にある後輩と話をしていたら「今度私、アメリカに留学するんです」という話を聞きました。

 

 それで以前私も、

  • 1ヶ月間アメリカの大学語学スクールに行ったことがある
  • その時に彼女ができた

という話をしました。話の成り行きから「もしよかったら彼女と友だちになったら」ということを提案し、私は彼女へその旨をエアメールに書いてみたところ、ぜひ友だちになりたいと返信がありました。

 

 彼女と後輩の連絡先をそれぞれに教えてまもなく、後輩はアメリカへと旅立ちました。高校卒業後は日本の大学に入学していましたが、海外の大学への夢を捨てきれず親を説得して、

  1. 日本の大学を自主退学
  2. アメリカの語学スクールへ入学
  3. アメリカの大学入試を受験
  4. 晴れてアメリカの大学へ入学

していきました。後輩は私より行動力があって頭が良かったです。


残念なニュース

 後輩がアメリカへ旅立って1年くらい経った頃でしょうか、一旦日本に帰国するということで日本で後輩と会うこととなりました。その中で残念なニュースを聞きます。ここ最近はエアメールの届くこともまばらになってきたことと比例してのことです。それは、「(彼女に)他に好きな人ができた」と。

 

 まぁ、無理もないですよね。日本国内の遠距離恋愛でもなかなか続かないのに、海外ですから。自分としてはショックはあったものの、仕方ないよねぇということも感じていました。だって手紙の文字だけで声を聞くことも、話すことも、触れることもできないんですから。

 

 後輩は1週間ほどでまたアメリカへと向かいました。日本の大学と違ってアメリカの大学は宿題、復習、予習と勉強をしっかりしていかないと卒業できません。話を聞いても大変そうでした。


再びアメリカへ

 その後も相変わらず大学とバイトの生活を続けていました。以前計算していたアメリカ行きの資金が溜まってきたので、「またアメリカへ行ってみたい」という気持ちになってきました。そんな気持ちを察していたかのように、ある知人から「貯金するのは悪くないけれど、若い今のうちに旅行や自己投資にお金をどんどん使ったほうが良いよ」という助言がありました。

 

 ただ私は今まで車で長距離ドライブはあっても、日本国内さえ一人旅を経験したことがありません。一人では話し相手もいないしつまらないということもありますが、小心者で「怖い」という思いがあったからでした。そんな自分を打破しようと思って、でも全く旅行期間中一人も寂しいのでアメリカにいる後輩に会ってその周辺を旅行するという目的も入れ、海外一人旅を思い切って計画しました。

 

 早速後輩へ連絡をし、都合の良い日程を聞きました。それに沿って航空券やレンタカー、後輩からお値段的にもおすすめな滞在するホテルを教えてもらい日本から予約を入れました。その他アメリカでの移動に車の運転が出来るよう、国際免許の取得もして準備を整えました。


空港に置いてけぼり

 準備を整えて、いざ出発。私にとっては初めての一人旅、それも海外です。空港へ向かう電車、空港内での搭乗手続き、飛行機に搭乗、と日本語が通じることもあって順調に離陸となりました。

 

 しかしです。お隣には生後数ヶ月ほどの赤ちゃんがお母さんと乗っていました。おそらくアメリカ人だと思いますが、当然のことながら日本語は通じません。できるだけ赤ちゃんを起こさないように、泣かないようにじっと静粛を保った13時間ほどのフライトでした。

 

 機内で極度の緊張感を保ちながらだったので、アメリカの空港についた時はどっと疲れが押し寄せてきました。また到着時間も朝の6時前とあって人気はまばら。お店もまだ開店していません。そんな時間でも後輩は迎えに来てくれました。近くの腰掛けに座ってジュースを飲みながら、行きのフライトで隣が赤ちゃんだったことや滞在中にどこに行きたいなどと会話をしていたところ、私は一つの質問を後輩にしてみました。

 

「あのぅ、やっぱり彼女に会ってみたいんだけど・・・」

 

 それを聞いた途端、後輩は怒り出しました。「前にも説明した通り、もう別の彼氏がいて絶対にダメです」と。後輩を彼女に紹介して電話でいろいろな経緯を話したんでしょうね、私はその詳細は知らないけれど、ダメの一点張りでした。さらに後輩にお願いしてみたところ、黙ってどこかへ行ってしまいました。

 

「どこに行ったのかなぁ。まさか置いてけぼりにはしないだろう・・・」

 

と思って辺りを探してみてもどこにもいません。しばらくしてこれは完全に置いてけぼりにされてしまったと確信しました。その後は広い空港内で言葉もままならない自分がこれからどうしようかどうしようかとウロウロとしていました。

 

 幸いレンタカーの予約を日本から入れていました。受付時間は11時。まだあと5時間くらいあります。一人言葉も通じない場所で時間を潰した時間はとてもとても長く感じました。待っている時間さまざまな不安要素を考えてしまって、ロビーで涙が出てしまいました(1回目)。


わがままを言わせてもらって

 ようやくレンタカーの予約時間11時になって受付カウンターへ行きました。片言英語でも親切に受付のお姉さんが聞いてくれて、行きたい場所(ホテル)までの住所を伝えると地図をくれて「ここのハイウェイ出口を降りるのよ」と教えてくれました。さらに偶然に隣に居合わせたおじさんが一緒にレンタカー車庫行きの送迎バス待ち合わせ所まで案内してくれました。

 

 晴れて日本車のレンタカーを借りることができました。初めてのアメリカでの運転。左ハンドル、左ウィンカー、右ワイパー、そして右側通行です。緊張のあまりしばらく確認、確認で発進できませんでした。「行くぞー」と気合を入れて車を発進させ、すぐにハイウェイへ乗ります。車線数も多くて、車線幅も広くてさすがアメリカです。ただし運転しやすくても油断せず、途中で絶対に捕まりたくないと「55マイル、55マイル」と自分に言い聞かせていました。

 

 それが仇となったのか途中で道を間違えてしまいます。「川」というより大きすぎて「海」のような景色が見えてきました。しばらく橋を渡っていくうちにこれは道を間違えていると気付きます。いくら走ってもUターンできる箇所が出てきません。ここで2回目の涙が出てきました。ホントアメリカは広いです。30分それ以上だったでしょうか、走って走ってやっとUターン出来る箇所がありました。一旦車を止めて、もう一度地図を確認しました。「次のジャンクションに差し掛かったら、右側へ行くように」と覚えて再発進させました。

 

 やっとの思いでホテルに無事着くことができました。チェックインを済ませて部屋に入ると疲れてそのまま眠ってしまいました。小一時間眠って起きると、一本の電話が鳴ります。後輩からでした。「着いたんですね」と一言。こちらからは「空港に置いていきやがって、コノヤロウー」とは言わずに心に留めて、「何とか着いたよ」と返答しました。

 

 その後一緒に夕食をして、再度私から「彼女に会いたい」とお願いしました。後輩はせっかくアメリカまで一人で来たのだからと思ってくれたのでしょうか、次の日に彼女へ連絡を取ってくれました。


直接言ってくれました

 滞在3日目、念願の彼女に会うため彼女の実家へ行くことになりました。アメリカの道路は日本のように複雑ではなく、碁盤の目のようになっていたので地図を見ればなんとか着くことができます。目的のハイウェイ降り口に到着して、彼女へ連絡をして迎えに来てもらいました。

 

 庭が広くて綺麗な実家に着くと、ご両親と弟さんに挨拶をしました。その後は弟さんの車に乗って3人で近くのファーストフード店でランチ。この後の予定などを話しながら、近くを観光させてもらいました。

 

 夕食は実家に戻って、ご両親・彼女・弟、そして私の5人で家庭料理を振る舞ってくれました。日本からのお土産を渡しながら、もちろん日本語は通じず「片言英語を彼女へ伝える ⇔ 英語が話せないお母さんへ彼女が(おそらく)台湾華語に翻訳」で会話をしました。

 

 次の日も来訪してもOKということでお言葉に甘えさせてもらい、弟さん同伴3人で観光しました。その日の帰り際、実家から近くのガソリンスタンドまでの道中、彼女が気を利かせて私の車に乗ってくれました。その中で彼女から他に好きな人が出来たことを直接伝えてもらいました。私は後輩から聞いてはいたものの、直接言ってくれたので「Thank you」とお礼を伝えて、初めてのセルフ給油を終えてホテルへ戻りました。


無事に帰国

 彼女からのお別れを伝えてもらった翌日、日本への帰国に向けて空港へと向かいました。後輩が空港まで見送りに来てくれて、「ありがとう」と伝えました。

 

 帰りのフライトはこれまた東南アジア系の家族の中での席となり緊張感のあるものでしたが、無事に日本へ帰国することができ、私と台湾人彼女との終止符を打つことが出来ました。

 

 今考えると、私のわがままに付き合ってくれた私の両親、後輩、そして彼女のご家族、彼女に感謝ですね。私としては、

  1. そのままフェードアウトして、日本で今までと変わらない日常を過ごす
  2. アメリカまで行って、ちゃんと当人同士が話をして終止符を打つ

ことを比較すると、今でも後者を選んで行動したことは良かったと思いますし、現時点の自分の糧になっていると思います。

 

 もう一度「自分が死ぬ前に後悔しないことの5選」を振り返ってその後悔が少なくなるよう、そして自分がこの世から退く際に「総合的にはいい人生だった」と思えるよう、あなたにもおすすめしたいと思います。

 

 恋愛も含めて「自分の直感と素直な気持ちでGO」と思ったら、一歩前の世界へ行動あるのみです。

 

おしまい


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